最近では珍しくない国際結婚ですが、身近に実際国際結婚した人がいるかといえば、そんなに多くはないのではないでしょうか?
2005年に、アメリカ人のジェイクさんとご結婚された山内さん。文化の違いやコミュニケーションの方法など、生まれた国が違うことで戸惑うことも多いのでは?
国際結婚をして、現在は青森で3人のお子さんを含めた5人家族で楽しく暮らす山内さんから、結婚までの道のりやお相手のご両親や親族との接し方、育った文化の違いも含めて、「結婚のカタチについて」聞いてみました。
山内さんは「グローバルテーブル合同会社」を立ち上げ、青森県内を中心にインバウンドの受け入れ環境整備コンサルティングや、インバウンドビジネス推進のための講演や講師など、精力的に活動をしています。
ジェイクさんとの出会いはどんなキッカケでしたか?
1999年に、専門分野についての勉強のために渡米し大学に入学しました。
最初はカリフォルニア州に行ったものの、周りにかなりたくさんの日本人留学生がいたので、英語を話さなくても日本語だけでも暮らしていけるような環境でした。
留学生同士での交流パーティーなども頻繁に開催されていて、毎日が楽しく刺激的ではあったものの、その頃の生活は本来の自分の留学の目的に沿っていないと感じ始め、アメリカ国内での移動を考えるようになりました。実際、カリフォルニアで過ごしたのは1年弱でした。
カリフォルニアでの生活を後にして、そこからアメリカ中西部に位置するウィスコンシン州の大学へと編入することにしました。
そこは人口5,000人程度の田舎町で、日本人留学生はおろか留学生の数もかなり少ない場所でした。
ジェイクとは、編入先のこの町の大学で出会いました。彼はその町の出身で、当時私が暮らしていた大学の寮の共同リビングに、彼と友達とが遊びに来ていた際に初めて出会いました。
外国人とお付き合いすることへの戸惑いや抵抗感はなかったのですか?
アメリカへの留学目的は専門分野についての勉強が第一でしたが、素敵なアメリカ人の彼との出会いを求めていた夢見心地な少女でもあったので、抵抗感というものはありませんでした。
小学1年生の時に当時所属していたガールスカウトの行事で、三沢の米軍基地の家庭でホームステイをさせてもらったことがキッカケで、アメリカ文化へ憧れを持つようになりました。英語でのコミュニケーションやアメリカ人のふとした仕草等を見ている内に、日本とは違った文化が格好いいな、と自然と感じる様になっていきました。
その時の強烈なカルチャーショックをきっかけに、英語を学び、いつか憧れのアメリカ人と対等なコミュニケーションを取れるようになりたい、と思うようになりました。
子どもの頃はよく、当時テレビで放映されていた「セサミストリート」や「ビバリーヒルズ青春白書」などのアメリカの番組を観ていました。
交際中に困ったことはありましたか?
日本人との考え方の違いを感じました。生まれ育った文化や環境の違いなので、そういうものなんだと思うようにしたものの、違いを受け入れることに戸惑ったこともあります。
お付き合い以前に、アメリカ人とのコミュニケーションでは「自分の考えはっきりと言う」必要があるのだと学びました。
日本人だと空気を読むことは美徳とされていますが、アメリカだとそれでは相手にされません。
相手に対して思ったことは、口に出して言わないと分かってもらえないですし、分からないことがあれば「分からない」と伝えなければなりません。
日本人同士だと「言わずに察する」状況も多いですが、多くのアメリカ人はそもそも「察する」という行為をしません。それが良いとか悪いとかではなく、そこが文化の違いです。
ジェイクと付き合っていた間も、彼に対して何かしら思うことがあっても、それを口に出さずに自分の中だけで「察して」消化しようとすると、逆にそのことで喧嘩になることもよくありました。
渡米後始めの内はそういった文化の違い自体が楽しいのですが、アメリカでの生活に慣れてくると次第にその違いが、「日本ではこうじゃないのに、何でこうなんだろう?」という疑問となりました。ただ、その後更に「文化の違いで良し悪しはつけられず、行き着く所どちらでもOK!」と考えられるようになり、それがまた楽しさに変わる。こんなサイクルがずっと続きました。
学生時代は、ネイティブスピーカーの中で、英語を母国語としない自分が英語で発言することは至難の技でした。それでも学校の授業でプレゼンテーションの機会が頻繁にあったり、授業中の発言自体が授業の評価に大きく影響していたりと、英語でのコミュニケーションにはいつも泣かされていたのを覚えています。
結婚したのはいつ頃ですか?
ウィスコンシン州の大学を卒業し、その後シカゴのNGOで一年間働き一旦日本に帰って来ました。日本の企業に就職し1年ほど働いたのちに再度渡米し、今度は大学院へ入り専門分野の学びを更に続けました。
その間もジェイクとはお付き合いを続け、2005年に結婚しました。大学院生の頃になります。結婚すると配偶者ビザに申請することができる様になり、そのまま大学院修了後にニューヨークで就職し結婚生活を続けました。
留学生が学校を卒業してそのままアメリカで就職して働くためには、就労ビザが必要となります。業種によってはビザ申請のためのスポンサーとなってくれる企業を見つけること自体が難しいこともあるので、アメリカでの就職についてハードルを感じる方もいるでしょう。
私の場合は院生時代にジェイクと結婚していたので、ビザの面ではスムーズに就職活動を行うことができました。
結婚後の生活は?
社会人としてニューヨークという様々なバックグラウンドの人が働き、そして暮らしながら入り混じる街で生活を始めると、私自身も学生時代よりかなり気持ちが楽になりました。
英語を全く話せない人もいましたし、片言の英語しか話さない人もたくさんいました。
多様性が共存するニューヨークでは、日本人であっても目立たないので本当に気楽でした。
ジェイクと結婚し、お互い働きながらニューヨークで暮らしたのは4年半ほどになります。
現在ご家族一緒に日本で暮らしていますがニューヨークから日本に移り住んだのはなぜですか?
きっかけとして大きいのは出産と育児です。
ただ、日本に移り住むことについては実はそれ程深くは考えておらず、どちらかというと気楽に捉えていました。アメリカで10年暮らしてみて、そろそろまた日本がどんな場所なのか見てみたいという思いもありました。
そんな中でも、二人にとっての最優先事項は子どもをどこで育てるのかということで、その点についてはジェイクと話し合いを続けました。
すぐ近くに家族がいないアメリカで子育てをすることに実際不安もあったので、それなら近くに両親や友人がいる日本の方が子育てをしやすいのではないかと思い、生まれ故郷の青森へ戻って来ました。
--日本と韓国の別居生活
ただ、日本に移り住む話し合いを続ける中で、ジェイクは真っすぐ日本へは行かず、一度お隣の韓国へ移ることを決めます。
当時韓国は子どもの英語教育にとても力を入れており、彼もそんな環境で自分の英語教師としての力を試し、新しい文化を吸収してみたかったようです。
「夫婦だからといって、いつも一緒にいなくても良いのでは?」というお互いの理解があったこともあり、私は子どもを連れて日本へ。彼は韓国へ。という生活が始まりました。
日本と韓国でのそれぞれの生活が始まり半年が経とうとする頃、東日本大震災が発生しました。
--震災時に考えた家族の在り方
日本国内にいても安否確認が難しい状況だった中、韓国にいるジェイクから私たちに連絡を取るのは難しい状況でした。
韓国のテレビでは震災の映像が頻繁に流れている中で、東北にいる私達と連絡が取れない状況はジェイクにとってとても不安だったと思います。
この震災がきっかけで、家族が離れていてはダメだと思い、その後すぐにジェイクも青森で暮らすことになります。
ただ、韓国では希望する仕事があったから良かったものの、青森市内で外国人である彼が仕事を見つけることは容易ではなく、しばらく苦労しました。
現在彼は、市内で大学生に英語を教えていて仕事にやりがいを感じているようです。
2人目の子どもが少し大きくなった頃、実はお互いのキャリアアップのために家族で東京へ引っ越すことも考えていたのですが、その後3人目に恵まれたこともあり引き続き青森で暮らしています。
育児のことや仕事のことを考えると、これからも青森での生活が続くと思います。
--最終的にどこで暮らすのか?
私自身今は、インバウンド関連の仕事を通して人脈が広がっていることや、県内各地の自然の美しさや文化の厚さを自分の目と足で再発見していることもあり、青森で暮らしていることにとても満足しています。
ただ、お互いが年を取っておじいちゃんとおばあちゃんになってからも、アメリカ人である彼が青森や日本に住み続けるのがベストなのか、と言えばそれは今はまだわかりません。
国際結婚する多くのカップルが経験する課題の一つに、「最終的にどこで暮らすのか」ということがあります。自分が生まれ育った国で暮らすのか、相手の国で暮らすのか。もしくは全く別の場所で暮らすのか。
それぞれが置かれた環境で状況は変わりますし、私自身は世界中のどこへでも家族で引っ越して楽しく暮らせるだろうと思っていますが、国際結婚を考える人はその辺をしっかり考えた方が良いと思います。
余談ですが…
だいぶ状況が変わってきたとは言え、日本ではまだ家事や育児は女性の仕事という考えが根強いですが、アメリカ人は男女の役割分担について、とてもフラットな考えをしています。
例えば、ジェイクもジェイクの両親も、そのまた両親も、家事も子育ても男性と女性の両方が参加して当たり前だと思っています。どちらもやって当たり前のことなので、「男性が女性の育児や家事を助けている」という考えもありません。
仕事を通して社会で活躍したい女性にとっては、アメリカ人との結婚だとバリバリ仕事に打ち込める家庭環境を築きやすいのでは、と思います。
女性が活躍する社会が当たり前だと思っている文化が背景にあるので、私の場合もアメリカ側の家族の中に応援してくれている人がたくさんいて本当に有難く感じています。
結婚を考えている皆さんには、結婚の一つのカタチとして国際結婚という選択肢も是非考えてみてほしいです。